新型コロナウィルス対応の政治学18

ゴールデンウィークが始まりました。普段とは一変した連休です。人が来てはいけないというのですから。

長期化した場合には航空各社や新幹線、ホテル業界などは存続の危機といっても良い状況に直面していることと思います。

日本沈没という言葉がリアルにチラつく現状になりつつある気がします。政治の踏ん張りどころです。

国会ではおととい昨日と祝日返上で国民ひとりに10万円給付などを盛り込んだ補正予算の審議が行われました。

野党第一党の立憲民主党の枝野代表の質問の様子がテレビニュースで流れていました。違和感を覚えました。

著名人が亡くなっている現状などを踏まえて安倍総理に対し「責任を感じないのか」と問い詰めていました。

与野党ともに国会議員は日本国民の代表であるのですし、まれにみる危機に対処する点では同士であるはずです。

枝野代表の質問の様子からはそういった与野党の枠を超えて共に戦うという情念が感じ取れないのです。

いつもの国会審議のように追求一辺倒で安倍総理の足らざるところを攻めまくるみたいな手法です。

私にはどうしてこうした立ち振る舞いになるのかが不思議でなりません。なかなか理解できません。

枝野代表は1993年8月自民党が一党支配から転落した衆議院選挙で日本新党から出馬し初当選を果たしました。

熊本県知事を務めた後総理の座に上り詰めた細川護熙さんが呼び掛けた、かの日本新党です。

候補者の公募があり152人が応募しました。選ばれたのはふたりで当選したのは枝野代表だけでした。

出身は、栃木県の宇都宮市で弁護士です。大宮市、与野市を区域とする旧埼玉5区で出馬しました。

典型的な落下傘候補でした。突如の立候補で住居を移したため枝野代表自身は当該の選挙区の選挙権がありませんでした。

当時は中選挙区で当選者4人で2位当選です。地盤看板カバンなしでの当選は日本新党ブームによるところが大きいです。

枝野代表自身が「選挙区内の知り合いはわずか3人。支えてくれたのは街角の皆さんの励まし」と振り返ってます。

枝野代表の立ち振る舞いの原因らしきものが見えてきました。落下傘で根が張っていないということです。

弁護士ですので口は達者で論はたちますので言論の力でのし上がってきたことが伺われます。

大都市の選挙区ではこうしたやり方が可能です。顔が見えない不特定多数を相手に語ることで得票が得られます。

ひとりひとりの支持者からの濃厚なお付き合いはまれでしょう。選挙区民からの陳情という言葉もリアルでないと思います。

当選9回を重ね、菅内閣では内閣官房長官を務めているのですから実力者であることは認めます。

しかし選挙区で地に足の着いた活動でのし上がってきてません。空中戦の勝者だといって良いと思います。

真の痛みを感じとりにくい政治キャリアを積んできたと言い換えることができると私は思います。

頭の中だけの痛みは本物ではありません。与野党の枠を超えて共に戦うとの危機意識を促すものにはなりえません。