田んぼのある景観を守る

私は1955年生まれ、昭和で言えば30年。戦後の混乱期を乗り越えて高度成長時代のさなかにありました。

子供のころ私の自宅の周りはほとんど水田でした。小学校までの10分ほどの道のりも田んぼを見ながらでした。

父が町長に就任したのが1年生の時でその頃から軽視がままぐるしく変わりました。住宅が増えました。

企業誘致が進み水田が大きな工場に敷地へと変わりました。しかし私にとっての原風景は田んぼでした。

我が家の周りの水田も3反ほどになりました。かつては1町歩を超えて耕作してましたので少なくなりました。

我が家の農業を支えていたのは婿である祖父と嫁である母でした。長男の父や孫の私はほとんど手伝ってません。

祖父と母が頑張ったのが今日に続いている理由です。特に祖父が1975年に死去した後は母が中心でした。

自分では耕作機械を操れませんので田んぼの工作を委託するようになりました。現在もそうです。

委託してから現在耕作していただいている方まで3代です。私が何もしていないので感謝です。

数年前に一手に引き受けて下さっていた方が高齢だということで交代せざるを得なくなりピンチに陥りました。

同じ自治会に住む現役バリバリ世代の農家の方が何とか請け負ってくれて一件落着となりました。

世代交代によって水田の景色が変わりました。大きな工作機械が入りやすいように田んぼの周囲が整備されました。

そして今年は酒米の王様と言われる「山田錦」の耕作に挑戦しています。田植えがちょうど済んだところです。

若い世代にバトンタッチすることが活力を維持する大切な取り組みであることをまざまざと見た思いです。

開成町金井島にある瀬戸酒造は幕末の創業です。1980年からは自前の醸造を中止していました。

2018年から東京のコンサルタント会社が直営事業として瀬戸酒造の醸造を復活させました。

地場産業中の地場産業の復活です。我が家の酒米は瀬戸酒造に収められることになっています。

開成町の水を使った田んぼで作られた酒米「山田錦」で作ったお酒が今年仕込まれることになるのです。

今からわくわくします。酒造りの復活、酒米農家の挑戦、歯車がかみ合うことにより地場産業が興るのです。

田んぼがある景観が残ることで子供たちは自然を体験できます。孫たちも時間があると田んぼを見に行ってます。

孫と一緒に周囲を歩いていると大きな青大将を2匹発見しました。私たちに気付くと悠然と巣穴に消えました。

毎晩カエルはうるさいほどです。オタマジャクシの季節がやってきます。孫たちはいつ生まれるか待ち構えています。

ホタルも10数匹飛ぶのを見ることができます。毎晩、懐中電灯を持って孫と一緒に自然観察をしています。

とてもぜいたくで貴重な機会です。新型コロナウィルス騒動がなければ孫たちの友達にも声をかけれるのにと残念です。

農家の方が田んぼを維持してくれるおかげでかけがえのない体験ができます。田んぼのある景観を守っていきます。