首長の”公”意識の衰退について

昨日、衆議院予算委員会の冒頭で自民党の議員が安倍総理にねぎらいの言葉を求めていました。

国民全員に1人10万円の給付作業に当たっている地方自治体の職員を激励して欲しいというのです。

政府の急きょの方針変更によるドタバタ劇がありましたので下請け作業をする地方自治体は大変です。

質問した国会議員によると地方自治体の首長の意見でこうした質問をしているとのことでした。

現場が大変だという実情はわからない訳ではありません。しかし、私は、違和感を持ちました。

厳しい思いをしている国民が大勢いるのだから当然ではないかと思ってしまいます。

地方公務員は十二分な所得補償もされていますし自らも10万円の給付を受けるのです。

国民が苦しんでいる実情を踏まえればこの程度の仕事は頑張ってもらわないといけません。

総理にねぎらいの言葉を求める首長の気持ちが理解できません。堕落を感じました。

新型コロナウィルスの脅威で場合によっては国家が転覆しかねない危機に直面している訳です。

このような状況で奮闘しないでいていったいいつ頑張るというのでしょうか。

総理によくやってるねと言われたいと本気で考えているとしたら”公”精神の衰退そのものです。

鎌倉時代の御家人のように、いざ鎌倉だと馳せ参ぜよとまでは言いません。

しかし、税金で給料を得ている者の責務として働きどころだと心得て欲しいものです。

首長がねぎらって欲しいなどと言い出してはおしまいです。当たり前の仕事をしているのですから。

作家の司馬遼太郎さんが雑誌文芸春秋誌上で連載したエッセイに「この国のかたち」があります。

その中で「文明の配電盤」という文章があります。明治維新直後の国家の一側面を捉えたものです。

明治新政府は、欧米の科学技術の導入を急ぎ、お雇い外国人を大量に雇いました。

一方で優秀な若者を欧米に留学させて将来の国家官僚の育成に努めました。

代表的な人物として古市公威(こうい)という土木工学技術者がいました。

古市は5年間フランスに学び帰国後は旧内務省の役人として治水や土木分野で獅子奮迅の働きをしました。

留学時代、余りの勉強ぶりに下宿の主人が身体に気を付けるよう忠告したというのです。

古市の返答は「私が一日休めば、日本が一日遅れるのです。」というものでした。

日本国家の近代化のためにという使命感、負けてたまるかという根性がに噴き出ています。

司馬遼太郎さんは明治国家は配電盤を巧みに設置して文明という電流を流したと評してます。

それが出来たのは古市のような人材が多数輩出されたからにほかなりません。

今日の日本の基礎が明治維新と新政府による近代化にあることは紛れもない事実です。

寝食を忘れて欧米の科学技術を吸収し日本のため身を粉にして働いた努力がありました。

古市が、10万円給付の仕事をねぎらって欲しいと首長が言っていると聞いたらどう思うでしょうか。

”公”のために身を挺して敢闘する精神が著しく衰えていることをきっと嘆くはずです。