対北朝鮮政策とアメリカの影

韓国のムン・ジェイン大統領が北朝鮮との関係が一挙に悪化し苦境に陥ってます。

北朝鮮は、連絡事務所の爆破までして韓国だけでなく関係国に衝撃を与えてます。

南北対話、南北和解を柱としてきたムン大統領は、先行きが見えず頭を抱えているはずです。

なぜこうした事態に陥ったかというとアメリカが韓国の思惑通りに動かないからです。

経済制裁を緩和する動きに対しアメリカは厳しい姿勢を変えていません。韓国は立ち往生です。

私は、30年前の永田町の最高実力者金丸信さんの姿とムン大統領がダブって見えました。

1990年9月金丸信さんは野党社会党の副委員長の田辺誠さんとともに北朝鮮を訪問しました。

金丸さんは当時の永田町を牛耳ってました。金丸さんと田辺さんは、盟友関係でした。

社会党は北朝鮮と太いパイプがあり北朝鮮は社会党を通じて関係改善を働きかけてきました。

北朝鮮は食糧をはじめ国内経済の悪化を食い止めようと日本との関係改善を図ったものと見られます。

金丸さんは国際事情に精通した政治家ではなく国内政治、特に国会対策のプロでした。

その金丸さんが北朝鮮訪問を決断したのは歴史に名を遺したいとの思いがあったはずです。

ここに落とし穴がありました。冷静に国際情勢を聴く耳を思惑がふさいでしまったからです。

北朝鮮は金丸さんを特別待遇でもてなしました。金丸さんは良い気分だったと思います。

北朝鮮側は日本との国交正常化交渉を提案してきました。私は同行記者として一部始終を見ました。

日本に戻ってすぐ金丸さんには逆風が吹き荒れました。まず韓国の反発でした。

金丸さんは韓国へ釈明に出かけるはめになりました。最終的には国交正常化は水泡に帰しました。

金丸さんの愛弟子であった小沢一郎自民党幹事長が結末をつけてしまいました。

一連の動きの背景にあるのはアメリカの意向であることは想像に難くありません。

アメリカにとって朝鮮半島情勢をアメリカ以外の国が主導権を持っていじられるのを嫌います。

緊張状態を継続させることの方がアメリカの国益にかなうと思っていた可能性があります。

北朝鮮を経済的に追い込んで核開発を含め軍事上無力化したいと思うのは当然だからです。

アメリカの真の意向を読み解き行動しないとしっぺ返しを食らう典型的事例だといえます。

金丸さんはこの外交上の失策から政治の表舞台から転がり落ちるように去っていきました。

1992年10月東京佐川急便からの5億円の闇献金事件で衆議院議員の辞職に追い込まれました。

翌年の3月には脱税で東京地検に逮捕され3年後に体調悪化で裁判が中止となった直後に死去しました。

韓国のムン大統領の将来を予測しているのではありません。アメリカの意向の強大さを述べてます。

日本にせよ韓国にせよアメリカに首根っこを押さえられている国はアメリカの意向を無視できません。

跳ね上がると政権基盤が揺らぐ悲しい現実を直視して将来ビジョンを描くしかありません。

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