逆アヘン戦争の時代の到来と日本

19世紀中葉、東アジアの安定の時代の終焉を継げたのはアヘン戦争でした。

東アジアの国際秩序の頂点に君臨していた清国がイギリスとの戦争に敗れ香港を奪われました。

清国は1911年の辛亥革命で崩壊し中華民国へ、1949年に中華人民共和国となりました。

偉大なる中国の復権を掲げる中国・習近平政権は、200年の屈辱を晴らすために動きました。

1997年香港返還の際の国際的約束少なくとも半世紀は一国二制度を事実上破棄しました。

習近平政権は香港は自国の領土であり内政問題に国際的了解を得る必要はないとの立場です。

アングロサクソンの国際支配に対する公然たる反抗が始まったと見るべきではないでしょうか。

世界最強国のアメリカに対しても言いなりにはならないとの姿勢を敢然と示しました。

香港版治安維持法の制定は米中対立が本格化する時代の号砲としてアヘン戦争の衝撃に匹敵します。

アヘン戦争で清国が敗れるとの情報を得てからの日本は明治維新を経て開国へと路線転換しました。

香港版の治安維持法制定ショックを受けて日本はどうするか難しい選択を迫られています。

前回は開国、今度は鎖国へと反転すればよいというほど国際情勢は単純ではありません。

グローバル社会の進行は著しく中国は経済大国へと変ぼうを遂げて日本もその渦の中にいます。

一方で安全保障の面では、中国の最大の壁であるアメリカと強固な同盟関係です。

経済関係と安全保障面のまた裂き状況の中で新たなアヘン戦争級のショックを受けたのです。

単純にアメリカをとるとか、いや中国だと割り切るわけにはいかない困難さが横たわってます。

こうした状況で一番まずいのは両方の顔色をうかがい行き当たりばったりの対応をとることです。

原理原則を決めたうえでその範囲内で柔軟に対応し時間を稼ぐことが必要だと思います。

激して極端な行動をとり緊張を高めることは日本の国益に百害あって一利なしです。

一方でクラゲのように背骨を持たずに浮遊して逃げ回るのも世界の笑いものです。

原理原則を打ち出してその枠内で柔軟に対応するという王道を歩んで欲しいものです。

日米同盟堅持の原則はより重要になることは必然です。国策の背骨となるからです。

その上でとるべき柔軟性とは政治と経済の分離の原則だと私は思います。

政治面、安全保障面ではアメリカと足並みを揃える以外に打つ手はありません。

安全保障にかかわらない限り中国との経済面の交流は維持していく方策を探るべきです。

中国けしからんの感情で中国との経済的結びつきまで影響を与えるのは行き過ぎです。

自民党内の強硬派には直情径行的に反中国一辺倒になる傾向が伺えます。

習近平主席の国賓としての訪日反対までで当面はとどめ経済関係画の影響を見極めて欲しいです。

逆アヘン戦争だと慌てる必要はありません。アヘン戦争から明治維新まで30年ありました。

政治的にはアメリカ、経済的には区別なしというしたたかな路線を見い出して欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

記事

次の記事

水系崩壊