再び地方巧者(じかたこうしゃ)の時代へ

地方巧者(じかたこうしゃ)と聞いてピンと来る人は江戸時代が好きな歴史愛好家です。

江戸時代1600年代は戦乱の世が終わり大規模開発、耕地面積の拡大の時代です。

1700年代になって元禄の栄華が過ぎ去り災害に悩まされる時代が続きました。

幕府の経営も次第に苦しくなり享保の改革を始め各種の改革が繰り返されました。

1800年代になって社会の矛盾は一段と深刻になり外圧による開国、明治維新革命へと続きます。

明治維新により近代科学技術が流入する前、独自の技術で地域経営に尽くした一群の人々がいます。

この人たちのことを地方巧者と言います。読んで字の通り地域密着の優れた地域経営者です。

但し技術に通じていなければなりません。文系ではなく理系の人達と言って良いです。

典型的人物が神奈川県西部を流れる酒匂川の治水工事を行った田中丘隅と娘婿の蓑笠之助です。

1707年の富士山噴火後の洪水で土手が決壊し酒匂川は流路が一変しました。

1726年田中は最新の技術を使い土手を締め切りました。1734年の洪水は蓑が修復しました。

2人は単なる技術者ではありません。地域経営にも類まれな能力を有してました。

田中は土手の工事の後に村人に水防組合を作らせて自らの土手を守る体制を整えました。

蓑は大口の土手に続き中流部に三角土手と呼ばれる新たな土手を築き治水の強化に努めました。

『農家慣行』という書を著し農業生産の増強に向けて村人の指導を行いました。

田中も蓑も現代に当てはめれば現場を仕切る指導者、もっと端的に言えば市町村長です。

災害列島となっている日本の全国各地の市町村の住民は、田中や蓑のようなトップを欲してるはずです。

神奈川県西部を見渡してみると理系の首長はいます。小田原市、松田町、開成町がそうです。

技術的知識を今こそ活かして地域の安全のために粉骨砕身努力をして欲しいです。

特に小田原市の守屋市長は大学で都市計画を学び技術屋として神奈川県庁に入りました。

東大の大学院で都市計画を学び直して県会議員になりそして5月に市長に初当選しました。

地方巧者として活躍するために生まれてきたようなキャリアです。活かさない手はありません。

人口減少に苦しむ小田原市の潮流に待ったをかけるには都市計画の見直しが絶対に必要です。

酒匂川の治水力を高めるためには土木技術に加えて田中や蓑のように政治力が必要です。

水系全体の首長を束ねワンチームで治水に取り組まなければ手に負えない時代になっているからです。

中心都市のトップである守屋市長の責任は重大です。今すぐに行動に移して欲しいです。

オンラインを使って首長同士の治水をめぐる協議を始めることは難しくありません。

守屋市長のやる気と知識、そして指導力を発揮できる場面だと私は思います。

ひとり10万円の選挙公報問題でみそをつけた守屋市長が名誉回復するには王道を歩むしかありません。

技術出身の首長らしくその知識を存分に活用して地方巧者となる道を歩んで欲しいものです。