勝海舟の治水論

勝海舟と言えば幕末維新期の日本を駆け抜けた大政治家です。治水についても一家言持ってました。

1896年、明治29年は、昨年や今年の日本と状況が同じで大洪水が相次ぎました。

2012年発行の研究冊子『水利科学』323号に紹介されてます。

新潟県、岐阜県、滋賀県、福井県、東京都、山梨県で大水害が発生したとなっています。

8月終わりと9月初めにかけて3つの台風が襲来して全国各地に大被害を与えたということです。

死者が1250人、負傷者が2451人、被害金額は、1億37 69万4802円となっています。

堤防が崩れた数は、248万7844か所と記録されてます。目を疑う数字です。

全国各地の水害状況を見て勝海舟は、西洋式の治水がおかしいのだと憤慨しています。

勝海舟の言行をまとめた『氷川清話』の中の「治水と堤防」という一節です。

江戸時代は土台を深く掘り下げてから堤防を造ったのに今は違うと指摘してます。

土を盛るだけでなく堤防には柳を植えたから見かけは悪くとも強いと指摘してます。

もうひとつ重要な問いかけがあります。江戸時代の堤防は二重になっているということです。

利根川の例を引いてます。堤防と堤防の間の土地は、平時は農民に無償で田を作らせてました。

水害の時は、農民が土地を守るため先頭に立って行動する仕組みができていました。

洪水で内側の堤防が崩れても外側の堤防で守ることができたと言ってます。

「かすみ堤」です。武田信玄が造ったと言われる山梨県竜王市の信玄堤が有名です。

勝海舟は昔は素人でもこうした頑丈な堤防を造れたのに今の博士たちはどうしたと怒ってます。

明治維新以降西洋の近代科学技術を急速に取り入れて河川の改修が進みました。

お雇い外国人が大活躍し治水分野ではオランダ人技師デ・レーケが代表的存在です。

新技術を導入する受け入れ側の体制が整わず試行錯誤の連続でだったことは間違いありません。

勝海舟は近代化を急ぎ過ぎたからこうなったのだと言っているのだと推測します。

勝海舟の議論は一理あります。西洋型の治水方法に対し異論を唱える識者もいました。

自然の流れを利用して川の流れを制しようという古代中国以来の伝統的治水に基づいた考えです。

これに対し西洋流の考え方は人間の力で水を制することができるという発想に立ってます。

二重堤防ではなく連続した堤防を造り水をいちはやく下流へと流すことによって守ります。

明治以降の日本はひたすら後者の路線を歩んできました。科学技術の発展が支えました。

コンピューターで詳細な洪水のシミレーションができるようになりました。

人工的な遊水地ともいえるダムの建設技術も急発展しました。盤石だと思えました。

しかし計算の前提条件を覆すような大雨には先端技術は意外にもろいことを昨今の水害は示しました。

勝海舟が文句を言った明治29年の大水害の時と同じような状況と言っても良いです。

勝海舟の江戸っ子らしい直言に耳を傾け治水のあり方を見つめ直すことが必要です。

 

 

 

 

 

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