続・勝海舟の治水論
昨日のブログで勝海舟が明治維新以降の西洋流の治水を批判していたことを紹介しました。
明治政府は、近代国家の建設に一目散だったのです。まさに急ピッチで近代化を急ぎました。
手っ取り早い方法として先進国から学者や技術者を招いて指導を仰ぎました。
岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らが一大視察団を結成し調査旅行を行いました。
1871年12月23日に横浜港を出て帰国したのは1873年9月13日でした。
1年9か月もの長期間政府要人が欧米の実情を見て回ったというのですからどん欲です。
いかに西洋の学術、技術を導入して近代国家の体裁を整えることに集中していたかがわかります。
このほかにも留学生を多数派遣しています。河川工学についても後に活躍する2人がいます。
古市公威、沖野忠雄です。ともにフランス留学組で旧内務省で全国各地の治水事業を指揮しました。
古市は、のちに東京帝国大学の工科大学校の学長を務め日本の近代工学の基礎を作りました。
古市の留学中の猛勉強ぶりは有名です。下宿の主人が心配して声を掛けました。
「私が一日休むと日本が一日遅れる」と古市は答えたとの逸話が残ってます。
明治時代の最初の20年の頃の時代の雰囲気が伺われます。挑戦の気概が満ちてました。
急げば失敗もあります。それが河川の堤防の決壊の頻発につながったのだと思います。
そこを勝海舟は鋭く突いたと言えます。しかし勝海舟の批判は100%正しいのでしょうか。
私は違うと思います。近代科学技術の導入がなければその後の国家の発展はあり得ません。
江戸時代の治水技術に優れた側面があったとしても時代の流れを逆に戻すことは困難です。
勝海舟の指摘は近代科学技術に依存する一方ではひずみも出るという警告として捉えるべきです。
勝海舟の指摘は現代の治水を取り巻く状況下においても十分通用する指摘です。
最先端の技術を活用しても洪水は防げないではないかと勝海舟が生きていたら言うでしょう。
しかしだ最先端技術を捨てて伝統的な治水に戻ることができるでしょうか。
できる訳がありません。だとしたらどうすれば良いのかを考えなければなりません。
科学技術万能という思い込みを脱し、伝統的な治水技術の良さを取り入れることです。
現代の最先端科学技術と伝統的な治水技術とのバランスをとると言い換えることもできます。
これが現代日本の治水の進むべき道だと思います。この考え方に立ち治水の再検討が必要です。
勝海舟は江戸時代の治水の優れた技術として二重堤防を挙げていました。
私も全く同感です。かすみ堤とも呼ばれる二重堤防の治水技術は、柔軟に洪水に対処できます。
現代の最先端科学技術を駆使してもう一度かすみ堤を復活させることはできないかを検討すべきです。
残存しているかすみ堤については最先端の科学技術で補強することができないか取り組むべきです。
現代の科学技術と伝統的な治水技術の融合の実例をどこかで実証することを目指すべきです。