酒匂川と一級河川化

水系を国が管理するのと県が管理するので何が異なるのか疑問を持つ方もいられると思います。

河川敷に立ってみれば即実感できます。堤防をはじめとする施設の整備水準が段違いです。

国と県との財政力の差と言えばそれまでですががく然とするぐらいの違いです。

河川管理の困難さがあり国が水系全体を管理しなければならない必然性があれば納得できます。

しかし109ある一級河川と同等に河川管理が困難となるとそうはいきません。

典型例が私たちの地域、神奈川県西部を流れる酒匂川です。有数の急流河川です。

先月大水害を引き起こした熊本県の球磨川の人吉盆地付近で比べても酒匂川の方が急こう配です。

源流は静岡県東部、富士山の東端の御殿場市にあり、ふたつの県をまたがっています。

山間部から神奈川県西部の平野部、足柄平野に流れ出る地点に治水の難所があります。

1707年の富士山宝永噴火の後の酒匂川の洪水ではこの大口と言われる難所が切れました。

社会経済的な状況を見ても世界的観光地富士・箱根地域を流れ下流分は交通の要衝の小田原市です。

これだけ条件が揃っていて国管理にならなかったのは七不思議としか言いようがありません。

災害史研究家の北原糸子さんがまとめた『日本災害史』という本があります。

明治からの日本の河川行政についても触れていて一級河川の成り立ちについて記述があります。

1910年に第一期の治水計画が策定されて国直轄工事の対象として65河川が選ばれています。

61番目になんと酒匂川がランクされているのです。国の直轄工事の対象でした。

現在の一級河川の指定は1964年の河川法の大改正に伴ってなされたものです。

明治時代の最初の河川計画で指定を受けていながらなぜ酒匂川は外れてしまったのでしょうか。

複数の県にまたがっているとか社会経済上の重要地域を流れているとかが条件です。

既に述べたようにこれらの条件はクリアしています。しかし一級河川にはなってません。

1910年から1964年までの間にいったい何があって最終的に除外されたのか知りたいです。

一級河川が指定された1964年と言えば東京オリンピックが開催された年です。

当時の政治状況は、神奈川県西部を選挙地盤とする河野一郎さんが絶大な影響力を有してました。

何せオリンピック担当建設大臣です。一級河川の指定ぐらいは鶴の一声だったはずです。

東名高速厚木インターから小田原へと延びる自動車専用道路、小田原厚木道路が典型です。

小田原厚木道路は、河野さんの指示で建設が始まった国道255号線と交差します。

その地点に小田原東インターがあります。そこから河野さんの小田原の実家は目と鼻の先です。

このくらいの工事を難なくやってしまう実力者が酒匂川の一級河川化はしませんでした。

河川を捨てて道路をとったのかとも推測できますが真子地に不思議としか言いようがありません。

コロナが一段落したら国土交通省と国会図書館に行ってどうしても調査したいです。

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