76回目の8・15に向けて

先の大戦で敗北してから75回目の8月15日を迎えました。寂しい慰霊祭となりました。

新型コロナウィルスが人が集まることを許さないからです。節目なのに残念です。

私は、叔父を戦争で亡くし遺族ですので毎年町の慰霊塔に出向き慰霊をしてきました。

今年は3密を避けるということで遺族会役員だけの慰霊祭となりました。

全国の慰霊祭も制限され540人のみが参加と報じられていました。

75回目の8・15は、大きな国際情勢の変化の中で迎える最初の終戦の日です。

変化とは、米中の対立の激化です。76回目からは過去を振り返るというだけに留まれません。

日本として大きな国際情勢の変化にどう対処するかを考えつつ迎えなければなりません。

一歩間違えば日本も戦争に加わる可能性があります。ここは直視しなくてはなりません。

憲法9条があるからとか立憲主義の精神とかは戦争とは直接関係ありません。

基本として日本人の中で通用する論理だと冷徹に見る必要があります。

アメリカと中国がのっぴきならぬ状態に陥ってしまえば日本近海がきな臭くなります。

尖閣諸島周辺海域で軍事衝突が起きないと断言することはできません。

中国が軍事基地化を進めている南シナ海で米中の軍事衝突が起き尖閣周辺に波及するかもしれません。

いずれにせよこれまでとは異なり戦争というものをリアルに捉えなければなりません。

過去のできごとで反省をしているだけでは、今現在、現実的に対処できません。

突如、軍事衝突が起きて慌てふためき感情的になってしまうことは危険極まりありません。

時間的余裕が若干ある今のうちに冷静に論議を進め国民的合意を得ることが不可欠だと思います。

まずは政府内の安全保障を担う部署で、政府全体として、次いで政府与党間で。

国会の場で与野党の間で。日本を取り巻く情勢の変化を正しく国民に伝える必要があります。

対米従属だとか中国けしからんとか一面的な見方を脇に置いて公平に見る必要があります。

日本の安全を守るには何が最適かをあらゆる角度から再検討する必要があると思います。

国民に対しいくつかの事態の推移のシナリオと取るべき選択肢を示すことが第一です。

その上でどういった道を日本として選んでいくことが良いのかについて合意を得ることです。

決定権を持つ一部の政治家や軍事関係者だけで決めてはなりません。

国民的合意を得るというプロセスが必要です。これこそまさに過去の失敗に学んだ態度です。

国際情勢は日本国憲法で動いているのではなく各国の国家戦略に基づいて進行しています。

憲法を無視して考えることも憲法があるから大丈夫とみなすことも、ともに誤った対応です。

この激動の時期に最も求められる態度はリアリズムです。思い込みや感情任せは危険です。

現実がどう動いているかを冷静に捉え、対応策を冷静に判断する以外に危機を乗り越えられません。

日本に試練の時期がやってきていると言えます。今度は道を誤らないようにしないとなりません。