実践と実践力

今朝は3時半に起きました。午前5時半に平塚市内のホテルに行く用事があったからです。

4時半前にスタートでちょうど良いかと思って愛車の軽バンを走らせました。

夜明け前で道路が空いているので5時15分ごろには会場に到着してしまいました。

平塚市倫理法人会の経営者モーニングセミナーの講話者に招かれたのです。

本当は3月13日の予定でした。5月1日に延期され、それもダメで本日となりました。

3密を避けて席はゆったり、オンライン形式も併用してのセミナーでした。

主催者から二宮尊徳の話をと依頼されていましたのでその要望に応えて話しました。

二宮尊徳の話ではなく現代の二宮尊徳の話をさせていただきました。

昨年暮れに武装勢力による襲撃で殺害された中村哲さんについてです。

私は中村さんに直接面識はありません。書籍を通じて偉大な人生を撫でているだけです。

中村さんが二宮尊徳とどうつながっているかというと一冊の本を通じてです。

明治から昭和の初めに活躍したキリスト教思想家に内村鑑三がいます。

内村の代表作に『後世への最大遺物』があり、それが中村さんの座右の書です。

立派な一生を過ごすこと、それ自体が後世に残す遺物だと熱く語っています。

中村さんは内村の喚起を心底から受け止めてアフガニスタンでの支援活動にあたりました。

内村にはもう一冊有名な書があります。『代表的日本人』です。この中で二宮尊徳を語っています。

中村さんと二宮尊徳が結びつきました。しかも二人が行ったことは重なっています。

二宮尊徳は江戸末期の疲弊した農村の復興事業です。中村さんは、それをアフガンで行いました。

中村さんは医師であるのに農業土木の知識を学び直し灌漑事業に取り組みました。

2人は頭でっかちの知識人ではなく現場で格闘する実践の人でした。

苦難を乗り越える原動力は高い志にあったことは言うまでもありません。

その志を胸に刻み込み実践したというところに2人の決定的な共通項があると話しました。

どんなに立派な志を持っていても言うだけではダメです。やって初めて評価されます。

中村さんと二宮尊徳の哲学は実践という言ってにおいて光り輝いていると繰り返しました。

話しの後若干の質疑があり、その中で実践力を身に着けないという感想がありました。

私はこの発言に若干の違和感を覚えました。実践力と実践は違うからです。

実践力を身に着けようと学ぶことは実践することではありません。

実践とは文字通りすることです。実践力をいかに身に着けようとすることとは違います。

最後の最後に念押しさえていただきました。要はやるかやらないかですと。

迷ったらやってみることです。その行動から新たな活路が開けると思うと述べました。

行動せずに評論することは、話のうまい下手はあっても誰でもできます。

やったかどうかは違います。やった人でないと語れないことがあるのです。

新型コロナで困難に直面している日本人にとって最も必要な指針は、実践することだと思います。

記事

前の記事

土砂崩れを防ぐ!
記事

次の記事

真鶴町長選挙の公開討論会