続々・愛国と戦後民主主義の対立を超えて

日本学術会議の会員任命をめぐる菅総理の判断は、憲法議論を巻き起こすと述べてきました。

菅総理がそうした問題意識を持っていない可能性に問題の核心が潜んでいるとも書きました。

学問の自由は、日本国憲法で保障されている基本的人権のひとつです。

その守り手の筆頭の立場の菅総理が自覚なく今度の判断を下したとすれば由々しき問題です。

総理は、日本国の権力の中心です。その座に座る人物の憲法順守感覚に疑念が生じるからです。

行政改革の一環であるかのように権限を行使すれば済む問題ではありません。

総理という座に座るのが相応しい人物なのかどうかも問われかねない問題だと思います。

戦前の国家体制による弾圧に対する反省があってこそ基本的人権があります。

歴史の重みを感じていれば裏で権力を行使していきなり表に出すなどという手法はとれません。

日本学術会議の在り方や任命について問題提起すべきだと繰り返し述べてきました。

問題は最高法規である憲法に関わる事柄です。絶対に私の言っている方が正論です。

任命拒否という権力行使をした後から見直し論議をするのは順番が完全に逆です。

菅総理から国家観が見えないという指摘があります。しかし今回の一件で見えてきました。

国家観が見えないのではなく全体を貫く国家観がないのではないかということです。

あるのであれば国家の基本を為す憲法に関わる事柄に軽々しく決定は下せません。

大した自覚がないからこそできることだと私には思えてなりません。

本来なら重大な覚悟を持って噴出するであろう反論に対抗する論理を用意するはずです。

いまだ6人を切った理由は明確でありません。用意してなかった疑念が拭えません。

安直に憲法に関わる重大決定がなされてしまう恐怖感を感じざるを得ません。

日本国憲法を軽視どころではなく、そもそも重大問題に発展する自覚がないと思えるのです。

国会論議を通じて菅総理の日本国憲法に対する認識も厳しく問い質して欲しいです。

政府が資金を拠出している機関に対し人事権をただ行使しただけだという感覚かどうかです。

学問の自由という基本的人権の保障が問われているという認識があったかどうかです。

認識があったとすれば正当性について入念な準備をしたはずですので根拠を追及して欲しいです。

「総合的ふかん的」という言い回しはごまかしです。具体的に述べてもらわなければなりません。

野党の存在意義がかかっている課題だと思います。特に立憲主義を掲げる立憲民主党です。

憲法が権力者の行為を規制する最高法規であるという立憲主義の大原則に関わります。

ここで一大論議を展開し今回の人事の問題点を明らかにできないようでは党名に恥じます。

菅総理の決定をめぐる論議は、日本国の今後の生き様に関わる重大な分岐点だと思います。

決してあいまいな形にせずに論点を明確にして国民に選択肢を問う形にして欲しいです。

戦後民主主義の象徴である日本国憲法の評価をめぐる議論への発展を期待します。