”私は闘う!”
私が最も尊敬する政治家のひとりは野中広務元内閣官房長官、元自民党幹事長です。
野中さんのモットーは、闘争精神です。『私は闘う』という題名の著書もあります。
たたき上げの地方政治家として培ってきた野中イズムだと私は思ってます。
京都府で圧倒的な権勢を振るった蜷川共産党府政に真っ向勝負を挑みました。
相手が強大であればあるほど燃えるのですから胆力は半端ではありません。
国政に転じた後も野中イズムは健在でした。1993年夏自民党は政権の座から転落しました。
野党となり多くの自民党政治家が落胆している中で野中さんは違っていました。
野党の一員として小沢一郎さんが率いる細川連立政権と対峙することに闘志を燃やしました。
実際、細川政権を倒す原動力のひとりとなりました。意気消沈せず倒閣してしまったのです。
野中さんの”私は闘う”精神を受け継いでいると思えてならない女性政治家がいます。
湯河原町の土屋由希子町議です。議会を相手にたったひとりで戦いを挑んでます。
土屋さんが立ち上げた「地域政党ゆがわら」の会報が送られてきました。
封筒内の全ての資料から闘志がめらめらと燃え立っているように感じました。
土屋さんは、先月の議会で懲罰を受けました。一日出席停止処分でした。
湯河原町では町民の滞納者リストを町議会に秘密会で提供し町議が情報管理するのが慣例です。
土屋さんはプライバシーの侵害の恐れがあると町議会のやり方を突きました。
町議会は、土屋さんが秘密会の情報を漏らしたとして懲罰をかけようとしました。
土屋さんが陳謝文の読み上げを拒むと今度は議会として出席停止処分を下したのが事の顛末です。
私はプライバシーの保護が叫ばれている今日このような情報管理していることが信じられません。
土屋さんはごく普通の常識に基づいて異議申し立てをしたに過ぎないと思います。
湯河原町議会は気に入らなかったのでしょう。叩く決断をしました。
当然議会の判断の背景には冨田町長の土屋さんを警戒する意識が働いていたと推測します。
土屋さんには怯むということがありません。議会の外に向けて動き出しました。
湯河原町内を辻説法ならぬ辻街宣をして回っています。スピーカーを肩にかけて歩いてます。
チラシを配りながら湯河原町議会の在り方を問題提起してます。新戦法です。
3月に当選したばかりの新人議員の根性の太さに敬服します。野中さんばりです。
おかしいことはおかしい、ただその一点に賭けているので迷いがありません。
シンプルさが湯河原町民に刺さっていくように思います。トラを野に放ったようなものです。
湯河原町民は、町議会はもちろん冨田町政に対する挑戦だと受け止めるでしょう。
あたかも町長選挙が始まったかのように思うのではないでしょうか。
冨田町長にとって強敵の登場です。富田町長の判断が結果的にそうさせました。
町長選挙は2年半後。早くも前哨戦が始まりました。湯河原町は、熱い政治の季節が続きます。