新型コロナウィルス対応の政治学60~菅総理の所信表明~

新型コロナウィルスのまん延に危機感を抱き始めたこのシリーズも60回、還暦となりました。

新型コロナは、ヨーロッパで再び猛威を振い始め、日本でもしぶとく感染拡大を続けています。

もし防ごうとすれば全員PCR検査をして疑いがあれば完全隔離戦略となります。

こうした戦略をとるためには超強権政治が不可欠です。中国はこの方向で対処しています。

強権戦略でもPCRの信頼度は完全ではありません。漏れが出る恐れがあります。全く厄介です。

さて、日本は、新型コロナが引き金となって総理が交代する事態になりました。

菅新総理の所信表明が昨日行われました。9月16日の就任から国会開会まで間が空きました。

菅総理は国会論戦に対し不慣れなため時間を置いてという思いがあったと想像します。

実績を先行させて積み上げてから国会論戦に臨む方が無難だということです。

そこに降って湧いたのが日本学術会議からの6人の推選者の任命拒否問題です。

昨日の所信表明ではこの問題については一切触れないという作戦で臨みました。

明後日からの代表質問では当然質問が出ますので一定の見解を示すことになるでしょう。

ただ書面を見て読みあうだけのやり取りでは迫力は乏しいです。予算委員会が待ち遠しいです。

立憲民主党や共産党と丁々発止のやり取りに菅総理がどうこたえるかその一点が注目です。

しどろもどろになればたちどころにテレビ画面を通じて国民の目にさらされます。

菅総理の政権運営に暗雲が漂います。これほど注目される予算委員会は久しぶりです。

菅総理の所信表明を聞いた印象は、「総合的ふかん的」観点が見えないということです。

「総合的ふかん的」は、ひょっとしたら今年の流行語大賞にノミネートされるかもしれません。

菅総理は、所信表明については「総合的ふかん的」に全体を見渡して推敲しなかったのでしょうか。

ひとことで言っててんこ盛り状態の所信表明でした。あれもやりますこれもやりますです。

どうしてこういうことになるかというと「総合的ふかん的」に観ていないからです。

大局的に観ることができれば取捨選択ができます。思い切って削ることもできます。

私は本当の自信のなさが大局的判断をすることを妨げているのだと思います。

自信がある時は演説は締まります。なければ冗長になります。今回は後者でした。

課題を網羅して見栄えの良い温室効果ガス2030年ゼロのラベルを張るという結果となりました。

やりますやりますという項目ばかりが並べられてなぜやるのかどのように進めるのかは見えません。

「総合的ふかん的」観点を持つには哲学が必要です。根本的な国家ビジョンと言っても良いです。

菅総理は「自助共助公助」と絆が国家ビジョンと言っていますがとってつけたかのようです。

そうした国家ビジョンを自らの哲学としていれば所信表明の冒頭から述べて説き起こすはずです。

最後の最後に付け足すかのようでした。所信表明に堂々とした確信が感じられない原因です。