新型コロナウィルス対応の政治学62~菅総理と哲学~

昨日、国会の代表質問の国会中継を午前と午後あわせて計4時間見ました。

テレビの前に座っているには相当の忍耐力がいるとつくづく痛感しました。

代表質問は一方通行ですので面白くないことは承知してましたが想像以上でした。

質問の方はそれなりに力が入っていてなるほどとうなづくところも多々ありました。

共産党の志位委員長の質問がぴか一だと思いました。政治哲学がひしひしと伝わってきます。

もちろん私とは考え方は異なりますが、それでも聞かせる力が込められているのです。

それに対し菅総理の答弁からは聞かせる力がありません。文章を繰り返し読んでいるだけです。

また同じことを言っているとすぐにわかりますので真剣に聞く気になれません。

同じような質問だから致し方ないという意見もあると思いますが私はそうは思いません。

立場によって質問は微妙に異なります。相手の立ち位置を意識して答弁も変化をつけるべきです。

ただ紙を読んでいるようではこうした技量を発揮する余地はありません。

志位委員長の質問に哲学があると書きました。では政治における哲学とは何でしょうか。

毎週金曜日夜9時からNHK教育テレビ放送の「ららら♪クラシック」にヒントがありました。

ピアニストの仲道郁代さんがベートーベンの音楽は哲学だと解説していました。

楽曲の中にパズルのように論理的にベートーベンの意図が埋め込まれていると語ってました。

ベートーベンはそれを変化させて私たちに世界や人類へのメッセージを伝えているというのです。

哲学に政治も音楽にも違いはないと思いました。哲学はメッセージを発信する原動力です。

ただしメッセージを論理的に埋め込むだけの見識を持ち合わせていなければなりません。

単なる感情の発露では人を喚起させることはできません。冷静な論理性が土台になければなりません。

菅総理は、「自助共助公助そして絆」が自らの国家観だと繰り返し語っています。

この言い回しに論理性が欠けているのです。てんこ盛りで意味が不明瞭なのです。

複雑な論理は伝わりません。単純なら単純なだけ逆に発信力は高まります。

ベートーベンの音楽は複雑そうに見えて際立って単純な少数の基本となる主題から成り立ってます。

単純な主題を組み合わせていますので一見複雑そうに見えるだけだということです。

菅総理も自らの国家観のもととなる哲学をシンプルに語るべきではないでしょうか。

これまでの発言から推測すると「基本は自助」という一言に尽きると思います。

もっと自信を持って自らの哲学を打ち出してその応用編として各種施策があると述べるべきです。

自助というと弱者切り捨てだと反論を受けそうなので話を複雑にしていいるとしたら間違いです。

自助を重視する哲学と弱者放置を結び付けるのは単なる言いがかりに過ぎません。

福沢諭吉は「一身独立して一国独立する」と言い切ったではありませんか。

自助を重視する国家づくりはひとつの見識です。菅総理は逃げずに打ち出すべきです。

 

 

 

 

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