自助と首里城

一年前の早朝いつものようにNHKのテレビニュースにチャンネルを合わせました。

沖縄県那覇市の首里城が焼けている映像が画面に飛び込んできました。

最初、どこで火事なのかわからず、首里城と知った時は、画面を食い入るように見つめました。

続いて驚いた出来事がありました。沖縄県の玉城知事が時を置かず官邸を訪れたことです。

当時の菅官房長官、現在の菅総理に首里城再建に向けて支援要請しました。

沖縄県と官邸は、在日米軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり鋭く対立しています。

断固阻止の旗振り役が絶対推進の中核の懐に飛び込んで助けを請うたのです。

沖縄のシンボルであり世界遺産に登録されている首里城の火災と基地問題はもちろん別物です。

でも、しかしです。とるものも取り合えずという感じで駆け込む玉城知事の姿に違和感を覚えました。

沖縄の抵抗の気概はどこに行ってしまったのだろうと首を傾げました。

沖縄戦で焼き尽くされた首里城の再建には長い年月がかかっています。

1958年から始まり1972年の沖縄本土復帰を経て1992年に一部公開が始まりました。

2000年の九州・沖縄サミット=先進国首脳会議では、主要会場となりました。

惨たんたる苦難から再建が果たされた歴史は理解しているつもりです。

私はこうした歴史があるからこそ慌てふためいて官邸に助けを求める姿に疑念を持つのです。

非常事態を受けて再建に向けての動きを速めなければという焦りが冷静な判断を妨げました。

政府と激突していながらすぐに尻尾を振るかのような振る舞いは王道ではありません。

大変な歴史的文化的遺産の喪失とはいえ人的被害が出たわけではありません。

昭和から平成の再建で基礎資料は整っているはずです。慌てる必要はないと思いました。

沖縄のシンボルともいわれる建築物の消失をばねにして県民を喚起したらどうだったでしょう。

まずは自力で何ができるかを沖縄県民みんなで考えてできることから実行しようではないかと。

沖縄県内は湧き立ったと思います。そうした県民の姿は強烈な印象を与えます。

日本国内に限らず外国からも援助の申し出が殺到したのではないかと推測します。

いの一番に政府に助けを求める姿勢ではこうしたうねりは本来の勢いに比べ弱体化します。

やせ我慢が必要なのです。自らを奮い立たせる自助の姿勢が訴える力を持つのです。

現在の再建計画は2026年に再建とされています。火災から7年というスピードです。

私はこれほど急いで再建する必要があるのかと思います。もっとじっくりと進めるべきです。

火災が起きてシンボルを失ったことによって再発見される重要な観点もあるでしょう。

前回の再建にあたっては台湾から木材を輸入して対応したことなどが一事例です。

気候風土が似ている台湾から何とかヒノキ材の調達を果たしたということです。

いずれにせよ、まず政府に助けを求める姿勢では、沖縄の、自助・自立の気概は示せません。