天災は忘れたころにやってくる

『寺田寅彦は忘れて頃にやって来る』という不思議な題名の新書があります。

書棚の比較的目立つところに置いてときおり題名を眺めて座右の言葉のひとつにしてます。

寺田寅彦は、明治から昭和の初めにかけて活躍した著名な地震学者であり文筆家です。

有名な格言に「天災は忘れた頃にやって来る」があります。目にした方多いと思います。

真理を見事に言い当てた言葉だと思います。人間の忘れっぽさを突いています。

来年3月11日は東日本大震災から10年の節目です。当事者は別にして記憶は薄らいでます。

ほぼ人々の記憶から忘れ去った頃に再び大自然は牙をむいてくるのでしょう。

プレートと呼ばれる岩盤の境界に位置する日本列島の宿命です。大自然の摂理です。

大地震に限らず自然災害は全てそうです。自然の摂理に従っているだけです。

二宮尊徳は、この摂理を「天道」と称しました。人間の力ではいかんともしがたいです。

ただし備え、もし遭遇した時に被害をできる限り小さくすることはできます。

この人間の努力を二宮尊徳は「人道」と呼びました。手をこまねいていてはいけないのです。

寺田寅彦は、二宮尊徳の言うところの「人道」の大切さを別の言葉で表現したと思います。

歴史を学び教訓として備えなければならないと注意喚起をしているのだと思います。

災害を忘れないようにするためには様々な工夫が要ります。記念碑、遺跡などです。

神奈川県西部を流れる酒匂川、全国有数の急流河川として知られています。

二県にまたがる暴れ川でした。現在は、源流部は静岡県、中下流部は神奈川県が管理しています。

1707年の富士山噴火後の大洪水が最も悲惨でした。治水を行ったのが田中丘隅です。

田中丘隅は、治水工事後、中国の治水神を祀り祭礼を行うことを村人に命じました。

災害を忘れないようにする工夫です。祭りで土手を踏み固める効果も狙ったと言われます。

治水の要衝にお地蔵さんを配置しました。そのひとつが開成町の祖師堂堤防脇に残ってます。

管理が行き届かず周囲は草ぼうぼうです。田中丘隅がさぞかし嘆いていると思います。

祖師堂堤防の周辺は、かすみ堤と呼ばれ堤防がつながっていない構造になっています。

洪水時はつながっていないところから水が逆流して一時的遊水地となります。

1938年の洪水時にはかすみ堤となっている堤防が崩れ始め崩壊の危機に瀕しました。

こうした歴史を持つ堤防の突端部の石積みは雑草で生い茂っていました。

足柄の歴史再発見クラブは、郷土の災害の歴史を見つめ直し伝える活動を続けています。

有志5人で昨日、お地蔵さん周辺と石積み堤防の突端部の草刈りを行いました。

身体を動かすことで災害の歴史をより一層胸に刻み込むことができます。

ささやかですが二宮尊徳の言うところの「人道」の取り組みだと思います。

県の音頭取りで酒匂川水系全体で年に数回行えれば災害の歴史の継承と備えにつながります。

おそらく天上の寺田寅彦も二宮尊徳も田中丘隅も喜んでくれると思います。