東京一極集中と関東大震災100年

来年は、東日本大震災から10年の節目です。大々的に報道がなされるでしょう。

最大の焦点となるのは福島第一原発事故によって今なお続く被害の実情です。

原発敷地内に保管されている汚染水を海洋投棄するかどうか瀬戸際に来ています。

汚染物質の中間貯蔵施設の建設もまだ完了していません。放射能の厄介さが端的に表れてます。

福島第一原発で作られた電力は地域で消費されたのではなく首都圏に送電されました。

2011年3月、電力不足に対応するために計画停電が首都圏で実施されました。

当時私は神奈川県知事選挙の直前で計画停電に遭遇し準備に大きな支障をきたしました。

原発事故が発生していなかったら10年後の震災の実態の取り上げ方は異なると思います。

現在進行形で国策そのものを問い続ける課題がなければ大震災と言えども印象は薄れたはずです。

災害は東京を政府を直撃しないと記憶が薄れる速度が速まるのが残念な現実です。

3年後の9月1日は関東大震災から100年です。神奈川県西部も大きな被害を受けました。

先月の足柄の歴史再発見クラブの例会では関東大震災の土砂災害をテーマに勉強会を開きました。

3年後の震災100年では勉強を積み重ねた結果を何らかの形で発表したいと思います。

私も少しずつ資料を読み出しています。ある傾向に気付かされてがく然としています。

作家の吉村昭さんの菊池寛賞の受賞作品、その名のズバリ『関東大震災』があります。

「犠牲者二十万人。空前の大災害の真実をあらゆる視点から掘り起こした名作」

本の扉にはこのように書かれています。目次に目を通すと全く違うことがわかります。

「関東」と題名には書かれていますが「東京」の被害の実態と朝鮮人虐殺などの事件記録でした。

今も昔も東京中心で物事を把握してしまう傾向は変わりはありません。東京一極集中の弊害です。

関東大震災の犠牲者10万5千人のうちの9万1千人は火災による死者と言われます。

そのうち東京は6万6千人です。当時の帝都が震災後の火災で焦土と化しました。

被害は、震源地の相模湾に近い神奈川県や千葉県でも甚大だったことは言わずもがなです。

神奈川県西部では山間部で土砂崩れが相次ぎ小田原では海岸に近い谷あいの村が埋まりました。

根府川駅に停車中の電車も海に流されました。相模湾では津波が発生しています。

東京での火災被害のすごさと死傷者の多さに目を奪われ他地域の実態は忘れがちになります。

地域ごとに被害実態を丹念に振り返る必要があります。そうしないと全体像は見えてきません。

地域ごとに被害のあり様は大きく異なります。東京での被害に引きずられてはならないのです。

地域ごとに見つめ直すことによっては初めて現状の対策の問題点が浮かび上がってくるのです。

100年間で対応力は進化しました。それでも不十分なところは多々あります。

関東大震災100年は、どんな点に危険性が残っているのかを見つけ出す節目とすべきです。