丸山眞男『日本の思想』との再会

女性史研究家の宇佐美ミサ子さんの資料整理のお手伝いをしていることは昨日書きました。

宇佐美さんは90歳。自伝で日本が惨たんたる敗戦を喫した1945年8月15日を書いてます。

大日本帝国に不滅を心底から信じていた宇佐美さんにとっては「勝利」しか脳裏になかったと。

平和運動にも深く関わった宇佐美さんの発言とは思えないような言葉です。

軍国少女だった自分を見つめ直したことでその後の歩みがあったのだと思います。

宇佐美さんの蔵書には教育者の戦争責任を問う書籍が相当数ありました。

教え子を戦地へと送った教師たちの戦争責任に対するわだかまりがあったはずです。

宇佐美さんは自身が社会科教師となり大学院へと入り直し研究者の道を歩まれました。

従って宇佐美さんの問題関心のひとつの柱はなぜ戦争の道を歩んでしまったかだったはずです。

その延長線上には戦後民主主義と日本国憲法の価値を重んじる姿勢が生まれました。

宇佐美さんの蔵書の中に日本を代表する政治学者の丸山眞男関連の書籍と雑誌がありました。

宇佐美さんのお言葉に甘え手当たり次第に自宅に持ち帰り整理してます。

全集が全部で17巻、丸山眞男手帳という専門の雑誌まで保存してありました。

戦後の政治思想界をけん引した丸山眞男を学ぼうという宇佐美さんの意思が伝わってきます。

難解な専門書ではなく新書が手っ取り早いです。丸山眞男の代表作は『日本の思想』です。

宇佐美さんの書棚には2冊ありました。一冊は1961年11月20日発行の初版版です。

前年が新日米安保条約締結で国会をデモ隊が取り囲み大騒乱となった年です。

当時宇佐美さんは病気で静養中でテレビの前で「安保反対」の声を上げていたとのことです。

もう一冊は1996年4月5日発行の第63刷です。丸山眞男はこの年の8月に死去します。

『日本の思想』が新たな版として発行されたので買い求められたのだと思います。

私が個人で持っているのは1972年4月10日発行の第21刷です。

高校2年生だった私が最初の頃に購入した岩波新書です。今も読み返してます。

この中に「である」ことと「する」ことという有名な講演が掲載されています。

権利の上にあぐらをかいているだけでは法の保護は受けられないという趣旨の発言があります。

権利は保護を受けるものが主張することで初めて守られると行動を促しました。

権利があるからと他人事のような態度をとることは自らの首を絞めると言っているのだと思います。

宇佐美さんを憲法9条や平和、女性の権利を守る活動に駆り立てた原動力のように思いました。

丸山眞男のこの言葉は今なお有効というか今こそ再考しなければなりません。

菅政権になっていきなり断行したことは日本学術会議の任命拒否でした。

制度があるからと言って安住していれば権力の都合により切られることもあるということです。

これを間違っているというのならばまずは当事者が厳しく行動しなければ事態は動きません。

 

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