くまモン知事と政治責任

11月1日住民投票で大阪都構想が否決された直後に松井大阪市長は責任の所在を明確にしました。

残り任期で市長の座を降りて政治から引退するとしました。潔い態度でした。

大阪都構想の生みの親の橋下前大阪市長がとった対応を踏襲した形でした。

責任を明確に資して出処進退を明らかにするということは政治においては重大事項です。

ここがあいまいとなるといつまでたっても責任論争が絶えることなく続きます。

日中戦争、アジア太平洋戦争における日本国の政治責任論争は今なおくすぶってます。

大日本帝国憲法で元首とされた天皇の政治責任は問われることなく終わったからです。

アメリカの占領政策が天皇の権威を利用することを前提に進められました。

アメリカの統治にとっては有用であっても戦争の政治責任は覆いを被されてしまいました。

大阪都構想の橋下前市長や松井市長のように自ら責任を明確にすればあいまいさは消えます。

千葉県の森田知事が4選出馬を見送ったと報道されました。出馬断念ではなく出れないのでしょう。

出馬すれば勝ち目がないから見送ったというのが真相だと見るのが常識です。

昨年9月の台風15号の際に災害対策の指揮官であるにもかかわらず現場を離れました。

別荘を訪れていたというのですから知事の責任放棄で空いた口がふさがりません。

出馬断念の記者会見では台風時の不祥事と出馬断念についての関係は明言してません。

自らの過ちを明確に認めれば次に続く知事への警告となるのにそうはしませんでした。

タレント人気でみこしに担ぎ上げられ知事に就いた政治家の責任観念のなさを見る思いです。

熊本県の蒲島知事は元農協職員から一念発起してハーバード大学に留学し東大教授となった人物です。

請われて2008年熊本県知事に出馬して初当選してこの3月で4期目に入りました。

初当選後の重要政策課題に球磨川流域の治水問題があり蒲島知事は脱ダムに舵を切りました。

2009年夏に政権奪取した旧民主党の看板政策を先取りした格好でした。

ところがこのほど蒲島知事はダム建設へと180度方針転換しました。

7月の集中豪雨で球磨川流域が6千戸以上の住宅が浸水被害を受けて多数の死者が出ました。

この大災害を受けてダム建設へと逆戻りしたのです。自らの出処進退について言及はありません。

蒲島知事にとっては知事を志したうえで最重要政策の大転換を余儀なくされたのです。

政治責任とともに出処進退についてなぜ示さなかったのか腑に落ちません。

少なくとも今任期を持って知事を退くことを明言すべきではなかったかと思います。

くまモンの生みの親のひとりで実績を上げたと言ってもそれは平時のできごとです。

知事の仕事の最大の任務はひとつの市町村では対応しきれない広域災害の対応です。

球磨川流域市町村の窓口となり治水の責任者である国と折衝するのが仕事です。

脱ダム対策をなおざりにし災害が起きたら方針転換し責任はとらないというのは筋が通りません。