三島由紀夫再考

三島由紀夫が東京市ヶ谷の自衛隊の駐屯地で憤死したのは1970年11月25日です。

今日で50年となります。中学3年生だった私は非常な衝撃を受けたことを覚えてます。

父が元帝国陸軍の軍人で国家主義的考え方を是としていた影響もあると思います。

三島は右翼の青年たちと「盾の会」を発足させて国家改造を目指していました。

この話題を父から聞かされていました。三島に対して関心が深まって行ったのだと思います。

三島の自決後、すぐに特集されたサンデー毎日と週刊現代の特集号を買い求めました。

今年高齢者の仲間入りした私ぐらいの年代ですとソノラマというレコードを覚えているはずです。

ビニール製の薄いペラペラのレコードで雑誌の付録についていました。

三島の肉声入りのソノラマが付録に着いた朝日ソノラマ臨時増刊号まで購入しました。

早熟のちょっとした三島オタクだったと思います。今も保管してあります。

ただ三島とは何者かを意識してより深く考えるようになったのは大学生になってからです。

手元に残っている文庫本の発行年次を見ると大学生時代に買い求めているからです。

『仮面の告白』。三島は、自伝的小説の中で三島は同性愛者であることをを明かしてます。

同時に劣等感のマグマが身体の中で渦巻いている人物だとも思うようになりました。

幼いころから肉体が弱く戦争の招集にも身体の弱さのため不合格となってます。

三島は高級官僚を父に持つエリート家庭に育ちました。本名は平岡公威(きみたけ)です。

家柄が良くて文筆の才能に溢れた青年でした。しかし、身体の虚弱さが三島を苦しめました。

多くの同世代の者たちは戦地に散りました。三島は生き残った弱虫と自己規定したと思います。

その反動が肉体を鍛え直し最後は国家へと殉ずる自己を演じ切って生涯を閉じたということです。

鍛え上げた肉体美をカメラの前にさらす三島のほほはアスリートのようです。

体脂肪率は間違いなくひとけたです。ほほの筋肉までぴくぴく動きそうです。

なぜここまで…。私は、三島は失われた過去を必死で取り戻そうとしていたと思います。

生と死が紙一重だった戦争の時代の落ちこぼれがそうではないと示したかったのです。

文筆でいかに高い評価を得てもそれでは内面に巣くうコンプレックスは癒されません。

身体と精神も決して弱虫ではないと評価されなければコンプレックスは消えません。

三島が閃いたアイデアは自らを国家に殉じる青年将校と同化して死を選ぶことでした。

死してのち俺は弱さを克服したと天国で言うはずだったのだと思います。

教育現場で生きる力という言葉が使われます。三島の自決は若者に生きる力となるのでしょうか。

三島の死は、大いなるものに殉ずる美学に溺れてしまう得体の知れなさが付きまといます。

三島は、現実との格闘を劇画のように美しくデザインして飛翔してしまったかのようです。

粘り強く現実に立ち向かうのが真の生きる力です。三島は道を誤ったと思います。