足元の災害史を学ぶ意義
新型コロナを災害として捉えるとして30年後今を振り返った時どうなるでしょうか。
大都市か農村か住んでいた地域によって捉え方は大きく異なるのは自明です。
目にしやすい報道記録は圧倒的に東京や大阪、名古屋、北海道といった地域に偏りがあります。
感染者数が多いので致し方ありません。しかし、全国各地の実態を表すものではありません。
ここに誤解が生じます。東京などの状況を見て全てを知ったような錯覚を持ってしまうのです。
間もなく10年となる東日本大震災も地域によって災害状況には違いがあります。
福島第一原発事故という衝撃的事故があるので津波の惨劇の印象は強烈に残るでしょう。
太平洋側のプレート境界の巨大地震という東日本大震災を特色を表しています。
これは共通理解として捉え易いです。しかしそれでも各県により地域により被害には差が出ます。
2023年で100年を迎える関東大震災は、帝都の地震という印象が強くないでしょうか。
特に避難場所が地震後の火災の猛火に襲われて数万の死者を出した衝撃が強いです。
関東大震災による被害は東京が中心で火災によるものであったという刷り込みがなされがちです。
揺れがひどかったのは震源地に近い神奈川県でした。横浜は火災も発生しました。
その他の地域は火災ではなく揺れによる建物の倒壊や山崩れによる被害が目立ちます。
昨日、足柄の歴史再発見クラブの例会があり前回に引き続き関東大震災の勉強会を行いました。
講師は筑波大学大学院元教授の西本晴夫さんです。会員になっていただいたので毎回登場です。
西本さんは小田原市の片浦地域の土砂災害を中心に被害状況を解説されました。
東海道線の上り列車が土石流に巻き込まれ相模湾に転落して多数の死者を出しました。
下り列車もトンネルを出たところで先頭車両が巻き込まれ運転士と車掌が死亡しています。
関東大震災というと朝鮮人に対するデマや虐殺事件が歴史の暗部として残ってます。
ところが神奈川県秦野市では当時の警察署長が朝鮮人の保護まで行ったということです。
防災治安を担うリーダーの判断によって事態は大きく異なっているということです。
クラブの副会長で秦野市内の県立高校の日本史教師の経験のある関口康弘さんの話しでした。
災害の歴史は地域ごとに丹念に見つめ直されないと全体像は浮かび上がりません。
地域によって実情が全く異なることの方が普通です。川の両岸で一変することもあります。
関東大震災から100年は、この巨大地震の全体像をもう一度見つめ直す絶好の機会です。
そのためには各地域でどのような実態だったのかもう一度再点検することが不可欠です。
関東大震災は帝都の地震で火災が被害の主因だという刷り込みで目を曇らせてはなりません。
県史や市史や町史をまずは土台にして現実はどうだったのかを調査し直す作業を始めたいです。
足柄の歴史再発見クラブの2021度から3年間の主たるテーマが見つかりました。