道義国家論1
”道義”などという言葉を持ち出すと時代錯誤との批判を受けそうです。
しかし今改めてこの古めかしい言葉の持つ意味を考えなければならないと思います。
隣国の大国中国が強大化し経済力を背景にして力の外交戦略を明確にしているからです。
新型コロナ下の国際経済は中国のひとり勝ち状態ですのでさらに中国は勢いづきます。
日本政府は価値観を共有している国々と連携を深めて中国に対処するのを基本としています。
自由と民主主義といった価値観を持つアメリカや西欧諸国、オーストラリアとの連携です。
この路線は正しい方向だと思いますが十分ではありません。中国は封じ込めには折れません。
同じ東洋の国として別個の観点から対中国への向き合い方を考えるべきです。
日本は、江戸時代までは中国文化の影響を強く受けていた事実を忘れてはなりません。
政治思想面でも中国伝統の王道政治という理想が脈々と受け継がれてきていました。
修身斉家治国平天下という言葉に代表される政治家自らの倫理が出発点です。
徳を有する指導者が大衆を導くという徳治政治を理想としているのも特色です。
徳治によって国家は自ずから収まっていくと考えます。王道政治と総称して良いと思います。
この政治観に対抗する政治観が覇道政治です。自らの利害を最優先に力で相手を屈服させます。
東洋の王道政治から見れば、西欧政治はさげすむものとして避けるべしとの伝統があります。
日本は明治維新を経て西欧諸国の価値観を取り入れ覇道の政治を展開しました。
中国革命の父と言われる孫文は1925年中国に帰国する直前に神戸で講演しました。
日本は西欧覇道の手先になるのか、それとも東洋王道の拠点になるのかと問いました。
孫文は東洋伝統の政治思想を盾に日本の覇道的な外交を鋭く突いているのです。
95年が経過して日中の立場は逆転しています。日本が中国の力の外交に戸惑っているのです。
日本は孫文が発した言葉の意義を立場を入れ替えて再考する時期に来たのです。
中国に対しかつての日本のように覇道政治にはまってはならないと問いかけるべきです。
その問いかけを発する際に土台となる考え方が、王道政治に基づく道義国家です。
私がこの言葉を最初に耳にしたのはNHKの政治記者の時、自民党の大物梶山静六さんからでした。
梶山さんは中央政界に躍り出る時に道義国家の建設を自らの立脚点にしたと語ってました。
菅総理は梶山さんを政治の師と仰いでいます。梶山さんの政治思想をおさらいして欲しいです。
西欧諸国とだけの連携では中国との対立は深まるばかりでらちがあきません。
かといって目先の経済的利益につられて中国の餌食となってはなりません。
万人が認める筋を通す姿勢でもって中国と向き合う姿勢が絶対条件だと思います。
梶山さんが掲げた道義国家は日本の背骨となる考え方になりえると思います。
道義国家の名に恥じない内政を展開し、その成果を背景に中国の覇道政治に対峙して欲しいです。