道義国家論3
道義を国家目標として掲げるからには過ちは明確に認識し反省しなければなりません。
過去の歴史を捻じ曲げたり独りよがりな解釈をしたりしてはなりません。
中国の覇権主義的外交に対し異議申し立てをする場合には特にそうです。
日中戦争は自衛のための戦争だと言い出したら何でもありで批判の根拠を失います。
中国の覇権主義を叩いているつもりが逆に日本の過去の過ちを照射されるだけです。
過去の侵略の過ちは過ちとして明確に認識し反省の意を常に持つことは道義の大前提です。
侵略を自衛と言い換えて日本の正当性を主張しても日本の保守派以外に支持者はまずいません。
政治判断として見ても国際的にも孤立を深めるだけの愚かな主張だと思います。
安倍前総理は歴史修正主義者でした。日中戦争を侵略と捉えることを良しとしてませんでした。
第二次安倍内閣発足後に軌道修正しました。アメリカなどからの反発を避けたのです。
日本の保守派も少なくとも安倍前総理と同様声高な主張を自重すべきです。
日本国内だけに通用するコップの中の論議で自己満足しているに過ぎない事態に陥るからです。
そうした狭い論議に終止符を打ち保守派が本来求めるべき道義に沿って行動すべきです。
中国大陸を侵略した事実を認めることによって中国の覇権主義を批判する正当性を持ちます。
事実を事実として認めることは中国側に付け入るスキを与えないことにつながります。
植民地支配についても同様です。支配された側の感情を重んじて対処するのが原則です。
支配された側が冷静に判断できる状況になるまで寛容に待つのが道義国家の道だと思います。
台湾のように日本による植民地時代の光と影を冷静に観察できる国もあるのです。
台湾の民衆と同じレベルに国民感情が成熟するのを目くじら立てることなく待つのが筋です。
東条英機元首相を始め7人が絞首刑にされた東京裁判の正当性を問う議論もあります。
インドのパール判事は勝者による裁判で後付けの法理で人道への犯罪が裁かれたと批判してます。
日本の正当性を語る理屈にしてはなりません。パール判事は裁判の在り方を問題にしてます。
日本が犯した戦争自体が正義と言っているのではありません。論理をすり替えてはなりません。
日本は明らかに誤った道を選択してしまったのです。この歴史の汚点を直視しましょう。
日本を守るために身命を賭したことは理解できます。だからといって正しい選択とは限りません。
中国大陸で多くの中国人犠牲者を出しました。戦場とされた側の怨念は簡単には消えません。
自衛のための戦争だったなどという言説は戦場の国民には通用しないことは常識です。
日本が道義国家として再生を果たすことを目指すのであれば事実を認めることが第一歩です。
今年は戦後75年。節目とするにきりが良いです。日本の道義国家出発元年としたいものです。
新型コロナの危機の中で再出発を誓うのは廃墟の中で戦後の第一歩を踏み出したのと一緒です。