道義国家論5

道義国家論、菅総理が師と仰ぐ元官房長官の梶山静六さんを端緒に話を進めました。

梶山さんは自らを土民軍と称し地域に根差したサムライであることを誇りとしてました。

草莽(そうもう)という言葉があります。草むらです。在野のという意味もあります。

幕末維新を駆け抜けた志士たちの多くは草莽の志士たちだったことは歴史が示してます。

梶山さんは、草莽の志士たちと自らを重ね合わせ新たな時代を開こうとしていたのだと思います。

草莽の志士から名を成し明治維新の立役者となったのが西郷隆盛です。

西郷が目指した国家像こそ道義国家でした。道義国家論とは西郷隆盛論でもあります。

西郷の思想を追うことで道義国家とは何たるかを知る手掛かりが得られます。

西郷は私利私欲を超越することを政治の基本としていました。「無私」の思想です。

「無私」の極致に至った政治家像としてあまりに有名な言葉を残してます。

「命もいらず名もいらず官位も金もいらない者は始末に困るものである。始末に困るものでなければ天下の大事は任せられない。」

西郷自身が、この極みに達したからこそ江戸城の無血開城などを成し遂げたのでしょう。

西郷は「道」が広く行われることこそが政治の目標であることを掲げていました。

「道」とは、民衆の暮らしが豊かになることであって指導者が豊かに暮らすことではありません。

しかし現実政治は極めて複雑怪奇で「無私」の指導者が登場すれば上手く行くとは限りません。

西郷は政変に敗れ鹿児島に引きこもり1877年西南の役で自刃して最期を遂げました。

西郷の道義国家は未完に終わりました。以降、道義を前面に掲げる政治指導者は見当たりません。

近年になって小渕恵三政権が掲げた「富国有徳」が唯一の例外だと思います。

小渕政権は梶山さんと総理総裁の座を争って1998年7月に誕生しました。

両者ともに道義国家を掲げる者同士の戦いだったことは大変興味深いです。

その小渕政権も突然の病により道半ばにして政権は終わりを告げました。

菅総理が梶山さんを師と仰ぐのであれば師の遺志を継いで今こそ立つ時だと思います。

自助・共助・公助の国づくりの大前提として道義を重んじる国家を掲げたらどうでしょうか。

自助・共助・公助という日本国内だけの国づくりが一挙に地球規模に拡大します。

アメリカにも中国にもロシアにも朝鮮半島にも道義で立ち向かうべきです。

国内政治はもちろん道義を基本として処します。インチキやいかさまはご法度です。

森友・加計問題、桜を見るかをめぐる一連の不祥事、直ちにケ時をつけるべきです。

ここまでくれば道義政治とはまっとうな政治に他ならないことがわかると思います。

今日の日本の危機は与党だ野党だと言っていて解決できる問題ではありません。

コップの中で争っている間に世界の中での日本の存在感は薄らぐ一方です。

これが真の日本の危機です。国家目標を道義国家に定め直しまっとうな国づくりが急務です。

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