続・三島由紀夫再考
文豪三島由紀夫が割腹自殺して半世紀の先月は三島関連の番組が数多く放送されました。
芥川賞作家の平野啓一郎さんの三島への視点が私の見方とピタリなのには驚きました。
平野さんは三島が死んだ1975年の生まれです。子供時代の三島の記憶はありません。
気鋭の作家独特の鋭い感性で三島の特質を射抜いたのだと推測します。
私は平野さん同様、学徒出陣世代の三島が病弱で戦列離脱したことを重く見ます。
策を凝らして招集されないよう振る舞った可能性もありますので罪悪感がのしかかります。
戦後三島は、一連の劣等感とうしろめたさを解放することに注力し続けました。
ボディビルで肉体を鍛えたたのは最も素朴な劣等感からの解放でした。
しかし、それは個人的課題です。死を賭して戦場に向かった同世代に顔向けできません。
三島は、世界的文豪としに名をなすようになって劇的な死に向けた脚本を創作しました。
野垂れ死にのようなドラマの主人公ではありません。身を賭した三島美学の主人公でした。
戦場の同世代の者たちは筆舌に尽くしがたい地獄絵の中で散ったと思います。
三島は、戦後25年かけてずるした後ろめたさから抜け出したつもりでしょう。
しかし、天上の同世代が許したかどうか微妙です。美学を考える余裕はなかったからです。
それにしても三島はなぜ身を挺してとか犠牲を払う悲劇に執着するのでしょうか。
三島由紀夫文学館の館長の佐藤秀明さんは「前意味論的衝動」という難解な言葉で説明してます。
佐藤さんが最近出した岩波新書の『三島由紀夫』の中で示している考え方です。
三島の全作品はおろか各種資料までをも渉猟して読み込んだ末での結論です。
それにしてもなぜこんなわかりにくい言葉を使用するのかさっぱりわかりません。
私流にかみ砕くと各個人がどうしてもそちらの方向へ向かってしまう本源的力でしょうか。
生まれながらに持っている性質と言ったほうがわかり易いかもしれません。
三島は身を挺して犠牲となることに極上の喜びを持つ本来の性質を持っていたということです。
三島は本来の性質を内奥に持ち既に述べたような戦中を送り戦後の華々しい活躍があったのです。
世間から見た華々しさと三島の内面の充足は比例してません。後ろめたさが解消してません。
全てに決着を付けたのが1970年11月25日の自衛隊市谷駐屯地での割腹自殺でした。
身を捨てた悲劇の英雄への執着が堰を切り後ろめたさも雲散霧消させようとしたと思います。
三島個人の目的が達せられたかどうかは天上での評価ですのでうかがい知ることはできません。
但し後世の若者に残したメッセージは誤っていると11月25日のブログで書いた通りです。
泥まみれになって粘り強くという変革へのエネルギーを喚起することなく散ったからです。
ところで岩波新書の『三島由紀夫』の著者の佐藤秀明さん、高校の同級生でした。
書店で立ち読みしていて経歴に小田原出身とあったので同窓会名簿を調べて判明しました。