丸山政治学で政治を斬る2~タコツボ政治の打破~
丸山眞男の岩波新書『日本の思想』の中に有名なたとえを使ったか所があります。
「思想のありかた」という講演の中で用いられたたとえで日本の学術界の状況を表現してます。
西欧の学術界が「ササラ型」であるのに対し日本は「タコツボ型」だと述べてます。
ササラというのは根はひとつなのですが先に行って分離している道具です。
根がひとつというのがみそです。それぞれ分離していても辿ればひとつになるということです。
何々学とかまったく別の学問のように見えてひとつの根っこから成長してきました。
学者間で共通理解がありますので対話が成り立つということを丸山は言っています。
これに対し日本は、明治になって急速に欧米の学術を取り入れました。
それぞれ分離した分野の学術をそれぞれの分野ごとに導入しました。
各学術分野ごとの壁が厚くなってしまいそれぞれの学術の仲間内だけに閉じこもりがちです。
丸山はこうした日本の学術界の様子を「タコツボ型」と巧みな表現で言い表しました。
丸山の分析を政治の世界に当てはめてみると現代政治の病んだ部分が見えてきます。
例えば湯河原町議会の現状です。土屋由希子さんという新人女性町議が孤立してます。
土屋さんの主張は、常識的に考えて間違ったことを述べているとは到底思えません。
町税滞納者情報を秘密会とはいえ町議に公開するのはおかしいと述べているのに過ぎません。
土屋町議は秘密会の情報を漏らしたと責められ結果的に懲罰を受ける事態にまで発展しました。
理由を考えると「タコツボ型」の湯河原町議会の「タコツボ型」政治風土が見えてきます。
町議会にとっては土屋町議の具体の発言が問題だったのではないと思います。
湯河原町議会という「タコツボ」」の掟を乱したのが有力町議たちを刺激したのだと思います。
「新人のくせに生意気な…」。もちろん表向きそうは言えないので理屈は付けてます。
日本の地方自治は、首長と議会がともに住民の選挙で選ばれる二元代表制で支えられてます。
敗戦後、アメリカの地方自治の考え方が色濃く反映したもので日本の伝統ではありません。
憲法が公布されて73年たった今でもなぜ制度が導入されたかは十分に理解されてません。
自由な言論を保障し、少数意見を尊重するという民主主義の本質に対する理解がおろそかです。
アメリカ流の民主主義の制度だけを接ぎ木のように受け入れた結果です。
表向きの民主主義とは別に「タコツボ」の中で日本流の政治をしてきました。
「タコツボ」の論理に従えば、逆らってはいけないのです。同調することが優先されます。
土屋議員は「タコツボ型」の政治風土の中で孤立を強いられてしまったと言えそうです。
逆に言えば土屋議員は、政治風土を変革する絶好の位置にいるとも言えます。
本人も屈する様子は皆無です。政治風土を打破する旗手になる可能性十分です。
2021年、土屋議員から目が離せません。「タコツボ型」政治風土への挑戦だからです。