2021年大乱世必至の一年

「新年あけまして…」といういつものあいさつをするのがはばかられます。

東京都をはじめ全国の新型コロナ感染状況を見ているとおめでとうという気分にはなれません。

東京で一気に千人を超えて1337人という数字が大晦日に出されたのは象徴的です。

2020年という年が新型コロナの年であったことを改めて強烈に印象付けました。

菅総理の目に見えた動きはありません。西村担当大臣に指示したという報道がありました。

年末年始の休み前には書店で感染症関連の本を購入したという新聞記事も目にしました。

なぜ総理自らがもっと前面に出て新型コロナに立ち向かう姿を示さないか不思議でなりません。

西村大臣を通じて間接的に支持したところでインパクトは全くありません。

いまさら書物になった感染症の情報を集めて何をしようというのでしょうか。

現在進行形の緊急事態なのですから分科会の尾身茂会長を呼んで協議したほうが早いです。

この期に及んで都道府県知事を前面に押し立てているのも違和感があります。

東京の感染拡大を受けて直ちに小池都知事と緊急会談するという選択はないのでしょうか。

菅総理の中で政治判断を行う歯車が狂ってしまったかのように思えてなりません。

たたき上げ総理のすごみは見えずに何かにおびえているかのような臆病さが目につきます。

ピンチの時こそ裏表を知り尽くしたたたき上げの真骨頂を発揮する時なのにと思います。

たたき上げの大先輩の野中広務さんの立ち振る舞いを思い起こして欲しいです。

総理の座を守りたいのでしょうか。何かを守ろうとするときは判断が鈍ります。

もし今のような言動が続くと国民の菅総理への離反は一気に進むと思います。

もし東京オリパラができないような事態になれば菅政権の存続自体が剣が峰に立ちます。

困難な状況下で総理の座を狙ったのはそれなりの自信があってのことだと思います。

現在の菅総理からはその自信は消え失せてしまったかのように見えます。

この正念場で踏ん張れないと待っているのは転落があるのみだと思います。

菅総理がこうした状況に陥っているのは、政治哲学、国家像の不在にあると思います。

何のために政治家をしているか、どのような国家を目指すかがあやふやなのです。

いまだに「自助・共助・公助」を超える政治哲学、国家像は出されません。

繰り返しブログで申し上げている通り日本はかつてない危機に見舞われています。

人口減少、少子・高齢化の社会構造変革と中国の台頭という国際情勢の激変です。

そこに新型コロナが来襲したのです。小手先の改革ではにっちもさっちもいきません。

日本の進むべき道を根本から問い直し新たなる国家像の提出が不可欠です。

確固たる政治哲学に基づいて新たな国家像を示せる政治家が求められているのです。

菅総理の今の姿はこの任に堪えうる国家リーダーの姿とは到底思えません。

2021年、ポスト菅の声が沸き上がるのは確実だと思います。大乱世となります。