新型コロナウィルス対応の政治学73~政と官~
政治家と官僚の役割は違います。危機になれば、その違いをより明確にしなければなりません。
政治家は決断。官僚は執行が大原則です。政治家は、情熱と共感。官僚は、冷静と合理性です。
この役割分担があいまいだと平時は何とかなっても危機に際し政治が上手く動きません。
昨今政治家が小粒になったのではといわれるのは政治家が官僚の役目をするからです。
決断を先延ばしし、情熱は感じられず官僚的な合理性ばかりを求めれば冷たい政治となります。
逆に官僚が政治家の役割をし出すと顔が見えない暗黒政治の第一歩となります。
責任を問われない官僚が裏で決定権を握り表向きは政治家が決めたように装うからです。
政治家の代表である菅総理が4日の年頭の記者会見で緊急事態宣言に触れました。
「検討する」という表現でした。私は総理なのに「検討する」とは何事かと思いました。
総理が出すと言えば緊急事態宣下を出すかは決まりです。「検討する」必要はありません。
実際の動きは、総理の検討発言で事実上動き出し明日の午前零時から発出の運びです。
菅総理は、「緊急事態宣言を出す」と断言し、その具体策は「検討する」とすべきでした。
政治家代表として最終決断を下す総理と官僚の本来の役割分担に相応しい表現だからです。
緊急事態宣言の発出自体を「検討する」としたら誰に決定権があるかわからなくなります。
官僚的な言い回しだと言わざるを得ません。総理大臣の言葉とは言えません。
菅総理は7年8か月安倍政権で官房長官として安倍総理を支えらつ腕を振るってきました。
官房長官という役職は政治家と官僚のつなぎ役のポストです。政治家でありつつ官僚を指揮します。
権力の源泉は人事権です。各省庁の上層部は人事が怖くて官邸の方を向かざるを得ません。
菅官房長官は、官僚の中の最高権力者と言っても良い存在になっていました。
それでいて最終決定権者は安倍総理でしたので直接の責任を問われることがありません。
菅総理は、官房長官の期間が長過ぎ本来の政治家としての感性がさび付いた可能性があります。
その結果が「検討する」発言になって現れてしまったと私は見ています。
「検討する」という表現は、あいまいさの中に自らの責任の所在を隠してしまう魔力があります。
「出す」と言い切ったならば全責任は菅総理にあると満天下に表明することになります。
そうしなかったのは追い込まれて緊急事態宣言を出したとの批判を恐れた可能性があります。
潔い態度ではありません。遅きに失したという批判を甘んじて受ける態度を示すべきです。
自らの責任を認めすさっそうとした姿勢に国民は共感を覚えるはずです。
決定が遅れたうえに責任逃れのような態度をとってしまっては総理の権威に傷がつきます。
再三ブログで述べていますが菅総理はもっと堂々と自らの言葉で国民に語りかけるべきです。
決断する者としてのすごみと情熱を伝えて欲しいです。訥弁かどうかなんて関係ありません。