森元総理発言の本質を忘れることなかれ
小泉元総理を東京オリパラのトップにと持論をブログに書いたら大学時代の友人から反応がありました。
「久々の露木節」となってました。”露木節”とは言いたい放題の正論と心得て引き続き書かせていただきます。
今日は森元総理の例の発言についてです。再論です。議論が上滑りしているように見えるからです。
女性蔑視とか差別とかジェンダー平等が森元総理発言の本質ではないと私は持論を述べました。
既存の体制を変えたくないという日本人に横たわっている意識が問題となっているのだと提起しました。
こちらが問題の本丸であって一連の森発言は問題の本質をあからさまにさせる端緒だったのです。
森元総理にある意味では感謝しなければなりません。森元総理ほど刺激的な失言をする方はめったにいません。
国内外であきれる方が続出したから問題に光が当たりました。森元総理は功労者です。
ただし反発の光が強烈なだけに多くの国民が惑わされてしまってはせっかくの功労が活きません。
問題の本質は体制を変えたくない、大勢順応の方が楽だというかねてよりの日本人の意識にあると認識すべきです。
アスリートの為末大さんが森発言への感想を求められて傍観していたことに対する反省を述べてました。
この感覚が正常だと思います。森元総理に近しい方はおかしいと思っても諫言せずに過ごしてきました。
日本社会全体に通じる基本構造だと思えてなりません。日本人はおかしいと思っても口に出すことを恐れます。
立場や地位を失うのではないか、仲間から白い眼で見られるのではないかと自己規制しがちです。
良く解釈すれば和を貴ぶ社会構造といえるかもしれません。しかしズルズルと引きずられる危険があります。
こうした環境の中でも敢然とダメなものはダメと言葉を発する勇気ある人物が稀に現れます。
女性が多いのです。森元総理は権威に逆らうものとしてさぞかし忌々しく感じていたのでしょう。
森元総理の発言は逆らってくる女性たちに対する積もり積もった怨念が不適当な表現となったのだと思います。
ダメなものはダメと発言する女性を応援する参加者が多数存在すれば問題は顕在化しなかったと思います。
事前に軌道修正されて反対者も納得の上で合意へと導かれていった可能性が高いと思います。
日本の社会はこうしたプロセスが辿りにくいのです。極端な形で突如として表面化してしまいます。
少数意見であっても正論と思われるならば許容する社会風土を醸成しないと問題は解決しません。
日本車期の各方面でリーダー的役割にある方々の責任は重大です。リーダーの意識がカギを握ってます。
逆らってくるような気分になってもぐっとこらえて一理あると思ったら許容し議論することが大切です。
小さな森元総理となって議論を抑圧、排除してはなりません。それを傍観するのもダメです。
こうした議論の進め方の積み重ねが社会風土を変え様々な立場の人々の居場所ができる社会へとつながります。