老害について

森元総理が東京オリパラ組織委員会のトップを退くことを緊急総会で表明した際に”老害”について触れてました。

老人が悪いように言われるのは極めて不愉快だと恨み節を発してました。見苦しかったです。

「情けないことを言ったものだ」と悔いてはいるもののわだかまりが渦巻いていることを伺わせてます。

最後の最後にこう言った態度を83歳の総理大臣経験者がとること自体がいかに老害であったかの証明です。

全ての高齢者が老害なんてことはあり得ません。尊敬される立派な高齢者は、あまたいられます。

高齢者の中では”若手”に属しますがアフガンで襲撃され命を落とした中村哲さんは73歳でした。

森元総理は老害で中村さんはそうではないとするとその違いはどこにあるのかということです。

志の高さの違いです。志が高ければ自ずと品格が備わります。その言動にカリスマ性が漂います。

地位に連綿としません。自らの使命をわきまえていますので時期が来ればさわやかに身を引きます。

志が低ければ権威の押し付けを感じます。異論を許さぬ雰囲気を常に漂わせ身を守ろうとします。

地位に就いていなければ自らの存在感が希薄なるという恐怖感にさいなまされているので強がります。

森元総理は後者に近いタイプだったのでしょう。そうでなければ去り際に愚痴など発しません。

なぜ老害と言われる存在に堕ちてしまうのでしょうか。譲れないことからくるのだと思います。

地位に就いた時から次世代の育成を考えていつ譲るかに集中していれば老害はあり得ません。

地位に就いてなくても次世代を育てようと側面支援している者を老害だなんていう訳がありません。

老害の根本原因はしがみつくエゴにあるのです。エゴに取りつかれた高齢者はお荷物と化します。

なまじっか影響力があったりすると組織全体を硬直化させることになってしまいます。

森元総理もこちらの道のりを歩みつつあったのでしょう。ごますりでない女性から異議が出るゆえんです。

森元総理がこの人物ならという人材を育て譲り側面支援する立場に回っていたら事態は違ってました。

俺はもう年寄りだからと言って身を引き次世代のホープに花を持たせる姿勢が欲しかったです。

後進の育成こそが先輩の最重要の仕事です。いつまでも俺が俺がはいつか破滅します。

どんなに力がある人物でも永遠ではありません。駅伝のようにタスキを渡すことに留意が必要です。

森元総理は体調のこともあってオリパラまではと地位にしがみつくという過ちを犯しました。

話しを元に戻します。結果的には志が低かったのです。自分のためにが公より勝ってました。

森元総理タイプは男女を問わず見かけます。後進に譲らないで権威を示すことが大好きな人たちです。

次々と新陳代謝することで組織は活気づきます。しがみつくことはその流れに抗することです。

結果として老害となります。志を高く持ち自らの生き様を点検することが老害と言われるのを避ける道です。