続・老害について

昨日のブログについて対し老害にならないよう注意したいと感想を書かれた方がいました。

そうした謙虚なお気持ちを持っていられれる方が老害と非難を受ける存在にはなりようがありません。

老害ではないと思い込んでいるから老害になるのです。そうならないようにと心配りをしている人はなりません。

心配りの要諦は今いるポジションを常に譲る気持ちを堅持して後進の育成を旨とすることだと思います。

私が尊敬して止まない西郷隆盛は『遺訓』の中で地位を譲る心構えの大切さを次のように述べています。

「賢人と認る以上は、直ちに我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。」。有能の士がいたら即譲れというのです。

この気持ちを保つため西郷が最も大切にしていたのは、私利私欲を捨てる心構えでした。

我欲を捨て去ることができれば正しい言動をとることができるという確信を持っていたのだと思います。

森元総理はフィギアスケートの浅田真央さんに「大事な時には必ず転ぶ」と失礼な言葉を投げつけました。

天は公平です。森元総理にもものの見事に転ぶ機会を与えました。浅田さんの痛みが少しは理解できたでしょうか。

最後の最後にまで恨み言を言っていますので理解は極めて浅いレベルだったと見て良いでしょう。

森元総理と老害とまったく無縁に見える方との違いについて昨日志の高さの差だと述べました。

志が高いからと言って現実社会の中で地位を得て出世するとは限りません。逆のことも多いように思います。

志の高さゆえに筋を通そうとして周囲との調和が保てずに排除されてしまうことが良くあるからです。

しかし志の高い方は地位があろうがなかろうが生き様が違います。高い志が一向に廃れないからでしょう。

そうした方に出会うとこの世の評価ではなくあの世の通信簿が高い方と私は表現します。

あの世に旅立つ瞬間はこの世の地位は意味ないでしょう。どれだけ誠実に生きたかが心の支えのはずです。

どんな立場にいようとも誠心誠意、地域に尽くしていられる方をあの世の通信簿が高いと評価する根拠です。

地位にしがみついていられる方は形相が穏やかではありません。この世に未練があり過ぎるのでしょう。

年輪を重ねたら良い顔だと言われたいものです。渋さも加わった美しさを漂わせる顔が理想です。

老害であるかどうかは男女はもちろんのこと年齢も関係がないように思います。若い老害もあります。

寄らば大樹の姿勢でリスクをとらない若い世代の者もいます。本来ならば果敢に挑戦する世代なのに残念です。

若年寄症候群と名付けたいです。日本は20代から50代にかけて増えているように見えます。

日本社会全体の停滞の大きな要因のひとつです。若い世代の奮起を期待して止みません。

高齢世代は若い世代が挑戦できる環境をどんどん与えることです。自分が奪ってはいけません。

譲ることが自らをまっとうにし若い世代を勇気づけ社会を元気にします。好ましい社会の循環をもたらします。

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